《海辺のカフカ》摘译49章(6)
「もし機会があったら今度教えてやるよ」と彼は言う。「もちろん君にやる気があればということだけどね。高知の海岸にはとてもいい波が立つんだ。人もそんなに多くない。サーフィンというのは、見かけよりずっと奥の深いスポーツなんだ。俺たちはサーフィンをすることを通して、自然の力に逆らわないことを覚える。たとえそれがどんなに荒っぽいものであったとしてもだ」
“若是有机会,这次教教你。”他说。“当然若是你感兴趣的话。在高知的海岸其波浪非常好。人也不是那么多。所谓的冲浪,与看见的状态相比那是更深奥的运动。我们通过冲浪活动,知道不能与自然力量抗拒。即便是多么原始的东西。
彼はTシャツのポケットから煙草を取り出し、口にくわえ、ダッシュボードのライターを使って火をつける。
他从T恤衫口袋里取出香烟,叼在嘴里,用打火机点着。
「それも言葉では説明することのできないもののひとつだ。イエスでもノオでもない答えのひとつだ」と彼は言う。
“那也是一样,也是用语言讲不清楚的一件事情。是或者不是的回答就是一个。”他说。
そして目を細め、煙を窓の外にゆっくりと吐き出す。
然后眯小眼睛,把烟从窗户慢慢吐出去。
彼は言う、「ハワイにトイレット・ボウルと呼ばれるスポットがある。そこでは引き波と寄せ波がぶつかって大きな渦ができているんだ。便器の水の渦みたいにぐるぐるとまわっている。だからワイプアウトしていったん底に引き込まれると、なかなか浮き上がってこられない。波の具合しだいでは、ひょっとしたらそのまま二度と浮かびあがれないかもしれない。でもとにかく君は海の底で、波に揉まれながらじっとしていなくちゃならないんだ。あわててじたばたしたところでなんともならない。かえって体力を消耗するだけだ。実際にそういう目にあってみると、こんなにおっかないことはちょっとほかにないね。でもそういう恐怖をいったん乗り越えないことには、一人前のサーファーにはなれない。死と二人きりで向かいあって、知り合って、それを乗り越えていくんだ。その渦の底で君はいろんなことを考える。ある意味では死と友だちになり、腹をわって話をすることになる」
他说:“在夏威夷有一个叫马桶的运动场。在那里波浪和回波相撞形成巨大的漩涡。就像座便器里面的水那样形成漩涡旋转。可是一旦沉到底,怎么也就漂浮不上来了。根据波旋的情况,一点也不可能再漂浮上来。那波浪会把你巻揉到海底。慌张地忙乎也没有用。相反会把体力消耗干净。实际上一旦遇到那种事情,也并不是那么害怕的事情。一旦不能超越那个恐怖,就不能成为冲浪运动员。死和二人之间相对,相认识,超越那个。在那个漩涡之底你在思考各种问题。在一定意义上将和死成了朋友,敞开心怀有话可说。”
发布于 北京
