#小柴说#
我身处的世界里,时机这个东西若有似无,但确实是存在的。只是难以看透,也并不一定会降临在每个人身上,所以说“若有似无”,但“存在”着。
如果把这个“若有似无”当作“无”而就此放弃,那也就只能止步于此了。但能否转变成“(时机它)若有似无,但是,必定存在”。其实也取决于能否努力向前,直到能说出“这个决断是正确的吧”
僕がいる世界はタイミングがあるようでないようなところだけど、やっぱりある。見極めるのは難しいし、全員に必ず訪れるわけでもないから「あるようでない」。だけど、「ある」んだよね。
その「あるようでない」を「ない」で終わらせてしまったら、そこまでの人になっちゃうけど、「あるようでない、けれども、ある」にできるかどうか。それは、「この決断が正解だったよね」って言えるように頑張って進んでいけるかどうかの違いでもある。
——《独断与偏见》第一章(2024.03)
发布于 江苏
