IntoThatSilentSea
24-04-03 11:48

这是花子在秀策死去三天之后的信件(原件保存在因岛的纪念馆)。其中提到的“伊藤元朴”肯定是西洋医学所的伊东玄朴,因为“长春院”是伊东玄朴的号。看过仁医应该记得这个人。

一筆申し上げ参らせ候ますます御機嫌よく御暮遊ばされ候御ことお歓び申し上げ参らせ候。左様に御座候得共、秀策事も当月三日より病気の所
四日昼頃迄は角別の事も御座なく候所、昼頃よりはきくだし、それより大さはぎ致しいし(医師)へも諸々へ人を出し候得共、皆々の間いし(医師)の参り候までの心配足の踏むところもおぼへぬくらい、ようやく松兄が参り内にたをれ居り候弟子をつれ参り、それよりからし湯やらからしをはりなぞ致しその日をしのぎ候まゝ夜分に相成りいし(医師)も参り、猶又手当致し日日よろ敷方に相成候間宜敷事に哉と存じ居り候所九日朝より少しほっと至し候へ共、人はたれたれと申す事もわかりいし(医師)への手紙も当人認め候くらいの心持故私に置き候ても全快致したと斗り存じ居り、伊藤元朴只今にてては伊藤長春院様と御申すおん方筋、織田なぞも是迄おしのぎに候故追々御全快相成る可く様申し候故なおなお心つよく存じ居り、当人は元より決して決して斯様に相成候気は少しも御座なく、十日朝より容体かはり余程ほっと致し、つまらぬ事なぞ申し、くすりなどもいし(医師) つき居り色々のませ候得共、すこしも思ふ通りに参り申さ ず、とふとふ午の下刻に死去致し候。本因坊はじめ家内一統夢のよふに思ひ何一言申しのこす事もなく、まことにまことにとほふに呉れ候。尤も当春初めより同病、あたまへは出来ものでき候得ども春中精進故志以竹(椎茸)を三度三度食べ候故なぞと申し居り候へ共、それにまた家内一統はしかにてふせり居り候、その看病を残らず致し、くすりの世話なぞも一人にて致し、おれがはしかをわづらっても、できものにてどくを取り候故、軽るかろうなぞと申し居り、宿にてもあなたはなすったのかと承り候ても誠に誠にわかりかね、伺ふに三度と、それにても遠方故間に合い申さずと申しおり、あの位の人故よもやよもやと存じ、私の病身を苦にやみ、色々世話致し呉れ候得共、 これからは、たれとても世話を致し呉れ候人もなくとほふにくれ朝夕泣き暮し居り参らせ候。
 斯様なる御事御年寄へ申し上げ候も、御気の毒さまと存じ上げ候得共、病中容体申しあげ参らせ候御兄妹様方も、此段お知らせ下さる様、お願い申し上げ候、委敷申し上げ度候得共なみだにくれあとや先御はんじ御覧の程お願い申しあげ参らせ候。秀策事はしかは致し候事哉死去前はしかのよふ成る事も見へ候間あきらめの為御きかせ下され候。
 御仏参にはどなた様がいらせられ候や。遠方の事故いかが様にござ候哉一寸御申越し下され候。                                
                      あらあらかしく
 八月十三日                  はな
御ともし様

发布于 美国